私自身子供の頃、家でテレビのCMを見て、学校帰りに駄菓子屋に行って買い食いをしていた。毎日のようにお小遣いを持って、駄菓子屋に通い、砂糖を必要以上に撮って血糖値を爆上げしていたのである。そして、中学、高校とそれは続き、大人になってコンビニ弁当を食べていた。
私の体は、添加物でできていると言っても過言では無い状態だった。

そして、11年前に結婚を機に嫁に目覚めさせられたのだ。無知で愚かだったと…。
嫁さんは、子供の頃から添加物を取らない家庭に育っており、食へのこだわりがある家族でした。
なので、私の食生活を知ったら、ひっくり返っていました。
それから、食品や調味料の選び方を教えてもらい半信半疑の状態で食品選びをしていた。
そういう意識でいて「ちゃんと選んでいるつもりだった」
スーパーで買い物をするとき、原材料表示を見るようになった。添加物の名前を検索したこともある。「国が認めているから大丈夫」「みんな食べているから平気」「別に今まで大して病気にった事ないし変わらないんじゃないか?」──そう自分に言い聞かせながらも、どこかに小さな違和感が残る。
原材料表示に並ぶ、馴染みの無いカタカナたち!これは何なのかわからない。
気にしすぎなのだろうか。それとも、気にしないほうが不自然なのだろうか。
食は毎日のことだ。そして、絶対的な事実として私たち人間は、口に入れたもので出来ている!
でも、多くの人は深く考えないようにしている。考え始めると、選ぶのがつらくなるからだ。
しかし、この“考えないようにする感覚”こそが、現代の食の安全を考える入り口なのかもしれない。
妻に言われた事がある。死ぬまでにあと何食できるのだろうか?と
1年で3食✖️365食=1095食かける40年としても43800食だ。
一回の食事を粗末にしては、いけない。と
確かに否定出来ない重要な事に気付かされた。
1.食品添加物は、なぜ生まれたのか
食品添加物という言葉には、どこかネガティブな響きがある。
しかし、添加物は最初から「悪」として存在したわけではない。
保存料、着色料、甘味料、乳化剤──これらは、
- 食品を長持ちさせる
- 遠くまで運ぶ
- 味や見た目を安定させる
ために生まれた。
戦後、人口が増え、都市化が進み、共働きが当たり前になる中で、「大量に、安定して、同じ品質の食べ物を届ける」ことは社会的な要請だった。冷蔵庫や物流網と同じように、食品添加物は生活を支える“技術”だったのである。
問題は、添加物そのものよりも、それが当たり前になりすぎたことにある。

2.「安全」はどうやって決められてきたのか
多くの人が誤解しているが、「安全」とは「まったく危険がない」という意味ではない。
食品安全の世界で使われるのは、許容摂取量という考え方だ。動物実験などから「これ以下なら影響が出ないだろう」という線を引き、そこに安全係数をかけて基準を作る。
ここで重要なのは、この線引きが科学だけで決まるわけではないという点だ。
- どのデータを重視するか
- どの程度のリスクを社会として許容するか
- 経済への影響をどう考えるか
これらは、価値判断を含む。
つまり「安全」とは、自然に存在する事実ではなく、人間(一部の既得権益者)が決めた合意なのである。
そして、この添加物は、一つに対してだけの安全基準であると言うことを忘れては行けない。
二つ以上の添加物がお腹の中で混ざると新しい科学物質に化学反応すると言う検証は、されていない!
あくまでも一つの添加物の許容範囲の基準である。
「保存料(安息香酸系)+ビタミンC添加」で体の中でベンゼンが作られることが事実としてある。ベンゼンは発癌性物質としてWHOでも確認されている。このように条件次第でどうなるのか、いまだに全容はわかっていない。
では、現在はどうなっているのか
この問題が明らかになって以降、
- 配合を変更
- キレート剤(EDTAなど)で金属イオンを抑制
- 製造・保存条件の管理強化
などが行われ、現在市販されている製品での検出は極めて低いとされています。
つまりこれは
👉「隠された陰謀」ではなく
👉 効率と保存性を優先した設計が、後からリスクとして判明した例
です。
重要なのはここ
この話の本質は、
- 「すぐ危険」かどうかではなく
- 複数の“安全とされた要素”が、組み合わさることで別の性質を持つ
という点です。
これは
心理学でも
医療でも
食品でも
同じ構造が繰り返されています。
3.利益重視の企業構造
食品企業はしばしば批判される。しかし、多くの企業は意図的に人を害そうとしているわけではない。
企業は、
- コストを下げ
- 価格競争に勝ち
- 安定供給を求められる
構造の中にある。
添加物や高度な加工技術は、この構造の中では「合理的な選択」になる。問題は、利益を優先すること自体ではなく、利益を最優先せざるを得ない仕組みが当たり前になっていることだ。
ここに、個人の倫理だけでは解決できない限界がある。
4.遺伝子組み換え食品は何が争点なのか
遺伝子組み換え食品も、よく誤解されるテーマだ。
この技術は、
- 作物の収量を安定させる
- 病害虫への耐性を高める
- 農薬使用量を減らす
といった目的で開発された。
争点は「危険か安全か」だけではない。
- 長期的影響をどう評価するか
- 生態系への影響をどう考えるか
- 種子を誰が支配するのか
国や地域によって判断が分かれるのは、科学力の差ではなく、価値観とリスク許容の違いによるものだ。
そして、近年世界的に健康被害の訴訟が行われているのも事実である。
5.なぜ不安は「個人の問題」にされるのか
食品について不安を口にすると、よくこう言われる。
「気にしすぎ」
「省庁や科学を信じなさい」
「嫌なら買わなければいい」
一見もっともらしいが、ここには構造的な問題がある。
選択の責任をすべて個人に押し戻すことで、
- 制度の問題
- 企業構造の問題
- 情報の非対称性
が見えなくなる。
不安は、性格の弱さではない。複雑なシステムの中で生きる人間の自然な反応だ。
6.食の安全とは、本当は何か
完璧に安全な食べ物は存在しない。しかし、何も考えなくていいわけでもない。
大切なのは、
- すべてを恐れないこと
- すべてを信じないこと
そのあいだに立つことだ。
知り、選び、他人の選択を尊重する。これ以上でも、これ以下でもない。
おわりに──気づいてしまった人へ
食について考え始めると、少し生きづらくなる。それでも、その違和感は間違いではない。
不安を感じるあなたは、壊れていない。むしろ、世界をちゃんと見ようとしている。
食は、支配の象徴にもなり得るし、主体性を取り戻す入口にもなり得る。
今日、何を食べるか。その小さな選択は、あなた自身の感覚を取り戻す行為でもある。
静かに、無理のないところからでいい。考えることをやめない限り、私たちは完全に「選ばされる側」にはならないのだから。


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